アメリカ 西部ドライブ H15.02.09->H15.02.16


15-02-09  成田発

15-02-09  ロス到着

 105-110-210-15-395-178

 Ridgecrest trona wildrose

15-02-10  デスバレイ

  death vallay  lasvegas  kingsman泊

15-02-11  グランドキャニオン

 40号線  williams grand canyon

  64--160 tuba cityマック(インディアン)

 kayenta泊

15-02-12  モニュメントバレー

 モニュメントバレー

 メキシカンハット

 four state corners

  farmington - bloomfield あたりで泊

 

15-02-13  カールスバット

550-albuquerque clines corner vaughn roswell artesia carlsbad

  el paso  deming泊

15-02-14

  tucson, eloy, yuma, el centro, san diego ,los

15-02-15

 lax->nrt

15-02-16

 nrt

  今回はアメリカ西部。大韓のロス路線が安かったので、とりあえず予約。メキシコに行くか、西部をドライブするかを散々迷い、成田空港で決断。アラモの予約を成田空港のインターネットで行った。

 昼前にロス到着。キャディラックやオープンカーにも乗りたかったが、キャディラックは値段の問題で、オープンカーは治安の問題で断念。3Lぐらいのフルサイズカーを借りた。

  とりあえずデスバレーに向かう。高速がよくわからず、ロスを二周ぐらいして郊外に出た。ロスの町から少し離れるとあれ地が続く。時差が17時間ほどあり、突然睡魔が襲う。というよりはふっと記憶がなくなる。でもバーガーキングで食事をしてひたすら走りつづけた。デスバレーの近くの町で日が暮れたので、ロッジにとまろうと思ったが、人がおらずしかたがないので通過。対向車のいないまっくらななかを走るのはちょっと恐かった。自分は本当にデスバレーをに向かっているのかとかいろいろと考えてしまったが(まともな地図もなかったし。しかし私にはいいかげんな地図しかなくてもあまり道に迷わないという特異な才能がちょっとある。カーナビの時代には役にたたない、原始の力である。)、オフロードに入り進んでいくとワイルドローズという看板を発見。キャンプの標識がついていたのでそこで寝ることにした。こんなこともあろうかと用意してあった寝ぶくろに入って寝た。少し上のほうでは寒い中焚き火をしている人がいた。

  翌日は朝はやく目がさめた。あとでわかったのだが、このワイルドローズというのはデスバレイの西に当たるところで、山を超えていくとデスバレイがある。私はちゃっと不安をいだきながら、ぐるっとまわってデスバレイに到着。夏は本当に死ぬほど暑いみたいだが、いまの季節はこ春びよりといったかんじで気持ちよい。サンドなんとかとかいう砂丘のようなところは日本にはあまりないところで、もしかすると砂漠ってこんなかんじかしらと思わせるところ。アメリカでは砂漠と呼ばれるところはたくさんあるが、日本人の感覚だと荒れ地というかんじ。アメリカには車で2時間走っても家一軒もない荒れ地があった。それはさておき、国立公園なので$10を取られ、ビジターセンターにいって見学。国立公園のビジターセンターの売店には必ずハイキングの本がある。ちょっと立ち読みをしたところ、二時間程度であるけるコースがあったので、ビジターセンターをあとにした。

  ほんと乾いた土地で、草もほとんどはえていなかった。ハイキングコースは谷ぞいに設定されていていた。こんな乾いた土地でもたまに雨が降るようできれいに谷が形作られていた。観光客は結構おり、HELLOなどと挨拶をしながら歩く。山のうえまで行くコースもあるが、崖のどんづまりまでいって往路をひきかえす。途中から見る塩湖の部分は真っ白ではなく、白い部分と黒い部分がまだらにあり、あまり美しくない。ウユニ塩湖のようなものを想像していたので、ちょっとがっかりした。車に戻りデスバレイをあとにする。途中谷を見下ろす場所があり、高いところからの風景はよかった。

  このあとはラスベガス方面に向かう。ラスベガスに到着したのは8時を過ぎていたが、あまりの明るさに驚いたというあきれた。アメリカってかんじである。金のかかる場所は通過し、kingsmanまで南下。$20の安い宿があったのでそこに宿泊した。

/11

  昨日は宿についたのが11時すぎだったので、ゆっくり寝た。10時過ぎに出発。インターステイツを西に走っていった。途中雪が降り始め、チェーンを持っていなかったのでびびったがwillamsについたころにはやんだ。そこから北上しグランドキャニオンに到着。入り口で$10を支払ったが、レンジャーのおばさんの英語は何だかよくわからなかった。グランドキャニオンに到着した時は曇っていたが、直に雲は切れ、谷の大きさに圧倒された。テレビや写真では味あえない存在感である。コロラド川まで降りられるのであれば国立公園にとまろうと思っていたのであるが、今の季節はアイゼンが必要とのことなので夕暮れまで見学し西に向かう。余談であるがここは唯一今回のたびでたくさんの日本人にあった場所である。

   夕暮れのグランドキャニオンを後にひたすら西を目指してはしる。途中夕飯を食べる為にtuba cityという西部の田舎町のマックに入った。店の中はなんとなくくたびれた感じのネイティブアメリカンばかり。もちろん店員もそう。アメリカでのマックの位置付けは安かろう悪かろう。店員の教育が悪くても、ハンバーガーがまずくてもやいすから文句をいうなということらしい(朝日新聞より)。唐突だが、これが戦争に負けるということかなおもった。白人との戦いに敗れ、肥沃な土地をおわれ、ペンペン草も生えないような西部においつめられ、居留区という囲いに追いやられる。戦いから数百年も経っているのに過去を払拭できない。恐ろしい国である。中南米を歩いているといつも感じる「白人許すまじ」という感情がふつふつと沸いてきた。

22時を過ぎ、モニュメントバレーの手前の町cayentaに泊った。

2/12

  今日は楽しみにしていたモニュメントバレー。町をでるとすぐにモニュメントバレーについた。ただ、シーズンオフのようでほとんど人がいない。店もやっていない。荒涼した土地にぽつぽつと岩山が立っているところで、草もほとんどはえていないさびしい感じの所である。風景を見る以外はすることもない。店というよりはベニヤで囲んだだけの店もあったが不況の為か、季節ではなためか営業していなかった。お金を出せばいろいろとアウトドアレジャーが楽しめるようであるが、高いのでパスしてメキシカンハットで昼食をとった。

  そのあとはフォーコーナーという四つの州(アリゾナ、ユタ、テキサス)が境を接する場所にいき(入場料2$、モニュメントバレーもここもネイティブアメリカンの管理らしい)、西南に車を走らす。この日はどこに泊ったのか記憶があいまいでだがfarmingtonあたりのモーテルに泊ったような気がする。もちろん今日も10時過ぎまで走行。

2/13

 今日はカールスバットという世界最大級の鍾乳洞に向かう。このころになるといいかげん疲れてきて運転がかったるくなってきた。まあ、一日600キロ以上走っているのであるからまあ疲れるわな。アメリカでばかでかい車とピックアップトラックが売れるというのがよくわかった。ハイウェイを何百キロも毎日走るのであれば3Lでも小さいと思った。あと150ドルほど足せばキャディラックが借りられたので、途中からちょっと後悔をした。 アメリカはちょっと田舎に行くと、脇路はすぐにオフロード。トラックは便利そうだ。その国にあった車があるというのは実感できた。車ついでに書くと驚いたのはキャンピングカーが多いこと。でも、日本のようにこじんまりしたものもないではないか、観光バスクラスが多い。そんでもって、それだけではこまわりがきかないのかクロカン乗用車を後ろから引っ張っていたりしている。バイクを引っ張っているなんてのはあたりまえ。とんでもないくにである。あと、トレーラーが家の半分を荷台に載せて走っていた。工場で家を組み立て、半分づつ運んで現地で組み立てていると思われるが巨大なトレーラーが横を走り抜けていく。

 昼過ぎにカールスバットに到着。入場料は払い、エスカレーターで地下へ。解説付コースを選んだので解説付見学ができる。当然説明の半分もわからないのであるが、なんとなく勉強をした気分になれるから不思議である(おそらく一割もわかっていない)。日本の秋吉洞とはちがって深い谷の中にあってだいぶ趣が違うが、まあ、鍾乳洞である。アメリカンなサイズに驚きつつも自然の不思議を見学して歩いた。

 ここテキサスからロスまでは結構距離がある。しかし、来てしまったものはしょうがないので、今度はひたすら西に向かう。日が暮れて少ししてからel pasoに到着。暗いくらい世界から明るい町にはいった。夕食をとりまた暗い道を西へ。demingのあたりで泊。

02-14

  今日は強行軍である。tucson, eloy, yuma, el centro, san diego ,losつかれた。

ここの道は西部っぽいところで、背の高いサボテンがたくさんあってなんとなくうれしかった。雨がたまに降るが、完全にスコールで雨のひどい時は運転ができなかった。グランドキャニオーンから地図で数cmきただけなのに、まったく気候が異なり、アメリカの広さを感じた。

  エルパソからロスまでは13年前にバスで通った。メキシコシティーからシウダファレスまで飛行機で来て、国境を渡りエルパソからバスでフェニックス。そこで今は亡きセナのサインをもらってF1見物をしてロスまでバスで行った。バスで走るのと自分で運転するのは大ちがいで、今回はいろいろな風景がおもいだされる。結局ロスについたのは午前2時ころ。レンタカー屋の駐車場に車をとめて夜が開けるのをまった。朝車を返して大韓航空で東京に帰った。ちなみに13年前は同じぐらいの時間にロスのバスディーポに到着。その当時のロスの治安は最悪で、その中でもバスディーポ周辺は悪いという話だった。空港までタクシーで行き、空港で夜明けを迎えた。昔とやっていることはさして変わらない。






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