ペルー、コロンビア、ブラジル・アマゾン旅行 H11-01-30->02-18 |
旅日記
場所 ペルー、コロンビア、ブラジル
日程 H11.1.30−>H11.2.18
1/ 30 NRT−>LAX−>ATL
1/ 31 LIM−>イキトス
2/ 1 イキトス滞在
2 イキトス−>タパチンガ
3 タパチンガ発
4 船
5 船
6 マナウス着、マナウス発
7 船
8 サンタレン着、サンタレン発
9 船
10 ベレン着。ベレン着。
11 フォルタレーザ着
12 フォルタレーザ泊
13 フォルタレーザ泊
14 フォルタレーザ−>サンパウロ
15 サンパウロ泊
16 サンパウロ発
17 ATL−>LAX−>NRT
18 NRT着
シベリア鉄道に乗って北京からモスクワまで行ってみたいと思っていた。話によると、車窓からの風景はずっと同じで、朝の風景と夕方の風景はさして変わらない。そんな旅を6日ほどする。すてきだなと思った。しかし、今回の旅はそれより長い。九日ほど船の旅である。いく日もいく日も茶色の水を眺めながら過ごす。ちょっと退屈な旅でした。
1/30に成田を出発。帰国の関係でシンガポール航空を選ぶ(ロス発東京行きの便で一番遅いフライトがシンガポール航空で、ロスで一泊せずに帰国できるためである)。その日にロスにつき、すぐにDELTAでアトランタ、リマ。31日の朝にリマに着いた。
リマでは観光会社の人々が「トモダチ、トモダチ」と客引きをしており、空港内を歩いていると、タクシーの雲ちゃんとかがうるさい。リマは初めてきた8年前と変わっていなかった。
今回も旅の予定は無かった。31日にリマにつき、2月16日にサンパウロを立つというだけ。一応、ペルーからブラジルまでアマゾン河を下るとか、ペルー、エクアドル、コロンビア、ベネゼーラ、ガイアナ、スリナム、仏ギアナ、ブラジルを進むとか、ボリビアの北東からブラジルに抜けるとか、一応頭にはあったのだが、、、空港でふとVarigがボリビアのサンタクルスへのフライトを出しているのみて、それに乗ってボリビアに行こうかな、なんて思ったのであるが、席が無く、また空港をぶらぶらしていたら、イキトス行きのフライトがあり、料金をきいたら、$44とベラボウに安かったので、イキトスに行くことになった。取りあえず$20換金、66soles。
途中ちょっとしたトラブルはあったが、無事イキトスに到着。ここでもタクシードライバーがうるさかったが、閉口したのは警察官がタクシーや観光業者のお手伝いをしていること。空港の出口で警察官がいろいろ尋ねてきて、ホテルは決まっていないといったら、詰め所まで連れていかれ、業者がきてなかなかだしてもらえず、疲れた。でも、イキトスまで来れば、私の今後の予定はアマゾン河をくだるだけなので、それだけ話し、なんとか脱出。セントロまではツクツクのようなものに乗って行った。
イキトスはブラジルのマナウスに並ぶアマゾン観光の基地である。ここからアマゾン観光のパッケージツアーがいろいろでていて、ピラニア釣りやワニ狩りなどできるらしい。しかし先にも書いたように、取りあえず下るだけなので、レテイシアまで船の予約をした。レテイシアまでの船はあさってあるとのこと。8時間$45であった。船の切符を売っていたおっちゃんの話ではレテイシアからは翌日マナウス行きの船があり、$50で、8時間でマナウスに着くという。レテエシア、マナウス間はイキトス、レテエシアの3倍位あり、これはふかしだなと思ったが、取りあえずレテエシアからの船は出ているようで、安心した。地球の迷いかたによると、レテエシア、マナウス間は二十日に一度程度の不定期線があるだけと書いてあったので期限内にアマゾンを下れるか、心配だったのである。
31日は時差惚けのため、ゆっくり休む。2/1は町を歩く。やはり市場は楽しい。怪しげな魚、果物、薬草いろいろな物がある。半分くさったようなバナナが山積みになっている。市のたっているベレン地区は古い建物が多く、川っぺりの家はバラックで、川の上にも家が立っている。結構食べ物の腐ったにおいが立ちこめ、多くの人は裸足であった。ここで石鹸を買った。昼飯は屋台でインティカ米に豚肉と豆を煮こんだ液体をかけたもの。コーラと合わせて1.5soles。イキトスで$9の宿にに泊した。なお、$9の部屋にはクーラーはなかったが、扇風機があったので、それほど苦はなかった。ただ、CSが入っていて、カートゥンネットワークやCNN、BBCなどが見れたのは驚きであった。驚いたがスペイン語ではあまり有り難みがなかったが、日本の映画があってこれは少し楽しめた。
翌日、5時にチェックアウト。船着き場ではペルーのイミグレーションの職員がいて、出国の手続を行う。一時間遅れで出港。20人程度乗れるボートで下っていく。特にトラブルもなく予定より2時間程遅れでレテーシア(コロンビア)ではなく、隣町のtabatingaに到着。イミグレーションは夕方だったため、入国審査は翌日になるとのこと。その日は客引きのインディヘーナのお兄さんに連れて行かれたジャングルホームという宿に泊まった。ここの主人はフランス人で仏語、英語、独語、西語、ポルトガル語、あいさつ程度の日本語と、語学に堪能な女性で、アマゾンにとりつかれて5年ほどアマゾンで暮らしているそうだ。アマゾンにはいろいろな人がいるものである。マナウス行きの船であるが、翌日出港するんだそうで、さっきの客引きのにーちゃんに予約してもらう。$US50。船の乗り継ぎに関してはとってもラッキー。宿で荷物をおろしUS$しかなかったので、ブラジルrealへの換金に港に行ったが、カンビオはなく、闇両替屋もいない。港の人によると、レテーシアに行かないと換金できないと。なんで、コロンビアに行かないとブラジルの金に換金できないんだと思ったが、しかたがないので歩いて行くことにした。30分程歩きコロンビア領に入ったがセントロまではまだありそうで、暗くなってしまった為、戻るが途中のストアーで換金できた(1$=1.25real)。町中に黄色い液体をビールビンのようなものに入れて店先においてあった。なにかなと思っていると、バイクに乗った人がその前に来て、ガソリンタンクを明けると店の人が漏斗でその液体をガソリンタンクに入れていた。この町にはガソリンスタンドは無いようである。
翌日、警察に行き入国手続をとったが、担当のおねえさんが何かわけの分からないことを言っていて、船の切符などを示したが、なかなか話が通じなかった。英語のできるおっちゃんが来て、レテーシアにいってビザを取って来いと言っている。ビザは日本で取っていったので、そのページを示すと、やっと入国のスタンプをもらえた。警察をでて港に戻ったときに、船の切符が無いのに気付く。ばたばたと探していたら、背後から少年が近づいて来て50realをもって、これを探しているのかと差し出したが、なくしたのは切符であって、50realではなく、自分のでは無いむね話した。後から考えたらもらっといたらよかったなと深く悔いたのであった。その後、致し方無いので船に向かう。イキトスから着いた港ではなく、すこし離れたところにあるため、タクシーで向かう。5real。船の入り口で30realとのこと。何か安い。よほど30realを支払ってしまおうかと思ったが、$50が無駄になるともったいないと思い、思いとどまる。しかし、結果としては後で$50とられることになったので、ここで30realはらっとけばよかったのだが、、、
ここからマナウスまで3泊4日の船旅である。寝床はハンモック。特にすることもないので、本を読んでいた。パイドン、ゴルギアスをさっと読む。時たま地図にはない集落や、町などに停泊する。地図にない集落ではあるが、そこではたくさんの人が毎日の生活を送っている。ガイドブックでは秘境という言葉であらわされる場所かもしれないが、だた単にそこに行くのに時間がかかる、またはお金がかかるだけで、秘境などというものは存在しないのではないかと思われてくる。
この船では食事は朝昼晩と三食ついているのだが、出港から三日目にしてはじめて食事がでていることに気が付いた。それまでは、周りのひとが何か食べているような様子であったし、後から考えれば食事だよ!と教えてくれた人もいたのであるが、聞くのもかったるいので、BARでサンドイッチ等をたべていた。食事がでているのに気が付いたのは暇だったから。二月五日に暇だったから、この旅ではじめて歯をみがいた。洗面所近くで歯を磨いていると5,6人のひとが部屋の中を覗きこんでいるのである。こっちも暇なのでずっと見ていたら、部屋の戸があき、人が入って行く。一緒にはいっていったら食堂だった。ということで今日の昼食のメニューはインティカ米の御飯、魚のフライ、スパゲッティ、豆のスープ。このメニューはベレンまで基本的に同じであった。ということで、ブラジル人はほとんど野菜を食べない。たまにコンソメスープみたいなものがでると、キャベツがはいっていてとてもうれしかった。
今夜は快晴である。アマゾンというと熱帯でとても暑く、雨が降ってもスコールというふうに思っていたが、けっこう雨はしとしと降っているし、太陽がでていないと寒いし(6月の雨期の寒い日みたい)、熱帯雨林の土地のイメージを変えてくれた。でも、晴れると空はとても暗く、星は絶品であった。赤道近くなので、当然天の南極は見えているのだが、大マゼラン雲がみえ、天の川はもちろん見えるのだが、驚くべきことに、天の川が河にうつり、河が明るいのである。このような空は初めて見た。これだけで、今回の旅は満足してしまった。
いままでも海外にきているが、ブラジルで一ついままで違うのは日系人のいることである。この船のなかで日系三世の日本人にあった。彼はサンパウロの大学で船のエンジニヤリングの勉強をしていて、12月に旅をはじめてボリビア、ペルー等をまわっているのだそうだ。もう一人日系人ではないが、アルゼンチン人で法律の勉強をしているという人がいたが、彼も12月から南米を旅していると言っていた。南米の休みは長い。そんなわけで2/6、3時にマナウスに到着した。マナウスはアマゾン河とその支流の合流するところで、アマゾン河の泥色の水と支流のコーラのような水があわさる。不思議なところだ。船をおりるとサンタレン行きの船があった。ベレンへの直航便はないようで、仕方がないので、その船に乗る。サンタレン到着は8日の未明。料金は35real。船で換金してもらったが、20$=35realでレートがとても良かった。レートは良かったが、おそるべき混雑のしかたで、隣のハンモックとぶつかり、ぎゅうぎゅうである。本当につめるだけ積むという姿勢が露骨であった。
この船でも日系人にあった。正確には日本人の血を引く人といったほうがよいかもしれない。母と二人の子。母はモニカさん。上の女の子がナオミ、下の男の子がタカシ。なんでもモニカさんの夫の祖父が日本人でタカシさんだったそうだ。モニカさんは日本語の教科書をもちあるき、日本語を勉強しているそうで、ポルトガル語、スペイン語、英語、日本語と御苦労なことだ。
2/8の午前1時にサンタレンに到着。6時ぐらいまで船で寝た。今日はベレン行きの船は無いと聞いていたが、8時ごろにベレン行きの船が入港。ラッキーとその時は思ったが、、、、、ということで、ベレンまで50real。出港は4時なので、両替をかねてさっき書いたアルゼンチン人のlawerとセントロに出た。lawerはT/Cしかないそうで、T/Cの換金ができなかったらベレンまで飛行機でいくとのこと。ベレンまで言った後はサンルイスでカーニバルを見るといっていた。リオのカーニバルについて尋ねたら、やめたほうが良いと言う。暑くて人が多すぎると。これは南米の人の共通の認識のようで、リオを勧める人にはひとりもあえなかった。途中でlawerとわかれ、薬局で換金し、ハンモックをかってジュースをのんで船にもどった。町で飲んだジュースの中で変わり種は砂糖黍ジュース。砂糖きびを巨大な機械で絞り、それに氷をいれて出すもの。甘くてあまりうまくなかった。
船に戻ったはいいが、いつまでたっても出港しない。5,6,7と待つが出港しない。7:30になり、やっと出港。船の中は大歓声につつまれた。しかし、これが不幸の前兆だとはだれも気が付かない。
飯をたべ、少し落ち着いたので、シャワーを浴びた。船のシャワーは便所の中にあり、せんをひねると水がでてくる。ここは南米なので、トイレットペーパーは便器にいれず、ごみ箱に捨てるのであるが、どうも、そのごみ箱と便器のある狭い空間でシャワーを浴びるのは気が進まない。でも、それ以外に選択肢はないのでしかたがない。でも、シャワーをあびている時は少々気持ち悪いが一週間ぶりにシャワーを浴びて気持ちが良かった。
船は一応順調に走ってはいたが、たまに停電する。一度は便所に居るときに停電となり、どうやってハンモックまで帰ったらいいのか真剣に考えてしまった。しかし、停電はすぐにおさまり、その時はハンモックに帰れた。
2/10に船はベレンに着く予定であった。航海中たまに船のエンジンの音がしょぼくなっていくことがあったが、4時ごろ船は旋回を始めた。なんだかよく分からないが、旋回していた。エンジンもしょぼかった。2時間ほどくるくる回ったあと、一応走りはじめた。しかし、船が細い河にはいっていって、しばらく時間がたってから船は完全に止まった。7時ごろ船は川岸に突っ込み、脱出できなくなっていた。そのうち、木がめりめりいう音がして、川岸から脱出はしたが、船を川岸にロープで固定し、動かなくなった。たまに、自分の乗った船の横を通り過ぎる。ブラジル人は陽気に時間をつかっているか、寝ているかで、あまりいらいらしないようである。深夜の1:30になり、救助の船が2艘到着。1艘を故障した船の横につけ、ロープで結び、走りはじめた。ブラジル人も大歓声をあげていたので、やはりいらいらしていたようだ。朝6時ベレンに着いた。疲れた。
重い荷物をかついてベレンの町に出た。これからどうしようか。リオに行き、イグアスに行き、サンパウロに行く。こんなことを考えた。ベレンからリオまで50時間。リオからマナウスまで24時間。ブラジルは広い。イグアスまでいくとなると、ベレンでゆっくりするわけにはいかない。バスの旅をすると余裕はない。ベレンの町でクプアスのジュースをのみながら考えたが、取りあえず長距離バスターミナルまで行った。ちなみにクプアスのジュースは絶品でした。一件目のバス会社では、そちらに行くのであれば途中のどっかの町までいってそこで乗り換えという。別の会社のカウンターで聞くとサンパウロかリオ行きのバスを探すが直通便はすべて空きなし。しかし、フォルタレーザまでなら15分後にバスはあるという。フォルタレーザという町はベレンとサンパウロの中間の町と勝手に解釈した私は馬鹿だった。でも、サンパウロやリオ行きの切符を買いにきた奴に、まったく違う方向のバスを勧めるやつも、ひどいよね。知らずにバスにのり、地図を見ていたら、ブラジルの東海岸にフォルタレーザを見つけた。ガイドブックによるとブラジル一のリゾート地。海岸っぺりのリゾート地はろくな思い出がない。いやな予感がした。
バスはよく揺れた。一番後ろに座った私の隣は便所で、誰か用を足すたんびに、臭いにおいにおそわれ、酔った子供はゲロをはき、おまけにえらく冷房がきいたバスはとても寒かった。これで、私は体調をくずしてしまったのである。翌日バスはフォルタレーザについた。とりあえず、この体調ではバスの旅は厳しいので、サンパウロまでは飛行機を使うこととした。ガイドブックには空港は近くと書いてあったので、荷物を背負い、暑い町を歩きはじめたが、いっこうに姿が見えない。しかたがないので、Moto taxyに乗り、空港にむかう。このモトタクシーというのは要するにバイクのタンデムに乗ると言うもの。20KGの荷物を背負いバイクのタンデムというのはとっても恐ろしいものでした。15分位で空港についたが、空港に着いたときには歩くのもしんどかった。空港でフライトの予定を聞くと、今日はディスカウントチケットは無いが明日いこうならあるというので、14日発の予約をした。412realもしたが体には変えられないので、涙をのんで、金を払った。ということで、空港で宿の予約もしてフォルタレーザの町に入った。そのあと二日間はひどい下痢で病人をしていたが、昼間町を少し歩いた。海は確かにきれいで、観光客が海岸で泳いでいた。私はそういった事情でたまにヤシのみを飲みながら、海岸を歩いた。あまり食欲はなかったのでほとんど食事はとらなかった。海や空は青く、浜を歩いていて気持ちがよかった。ただ、もう気分は帰国までの時間消化であった。サンパウロでは、ゆっくり日本人町で過ごした。