イラン、トルコ、ブルガリア、シリア、レバノン、ヨルダン、エジプト |
旅日記 中東編
今回は中東。社会情勢としてはなかなか緊迫してましたが、まあ安心して旅ができたかな。
12/25成田発。アエロフロートなので、モスクワで待たされ、イランに向かいます。隣に座ったのは日本人女性。ひとり旅だそうで、イランのビザは空港でとるとのこと。ただ、イランでは単独日本人女性へのビザの発給が厳しくなっているとな。彼女いわく、「イラン人男性を日本人女性が誘惑する」というのが理由とか。彼女はめちゃ怒ってたけど、もしビザのために必要なら、私が同行者といってもかまわないよ、なんて話をしていたんだけど、あっさりビザがとれて、よかったです。
12/26 イラン入国
例の日本人女性がエスファハーンはいいところだというので、バスでエスファハーンへ。バス代はえらく安く、5時間ぐらい乗っていたけど、500円ぐらい。町につき、有名なモスクを外から見学。町はなんとなく、さびしく、人通りもあまりなかったが、橋のたもとのcafeはにぎわっていて、女性もチャイをすすっていた。こちらのひとの砂糖の量は半端でなく、あんな甘ったるい茶をよく飲めるものだと、少々あきれる。
モスクはあるけど、なんとなく長くいたい街ではないので、夜行バスでテヘランに戻った。
12/27 テヘラン
夜明け前にテヘランに到着。西行きのバスターミナルは違うところにあり、よくわからないのでタクシーを使ったが、だいぶぼられたような、、、 まあ、仕方ない。トルコ行きのバスに乗りたかったが、2時過ぎに出発とのことで、バスターミナルの中で時間をつぶす。ここてば、携帯の充電用にコンセントがあり、ただで充電ができる。さすが、石油大国。太っ腹。
食事はやすくとれるが。あまりうまくない。今回の中東旅行での食事は、かんばしくなかった。肉料理が多いが、スパイスが効いていないので、なんとなく味に締まりがない。
バスは定刻かどうかよくわからないが、出発。目的地はトルコのエルズルム。そこから、グルジアにはいってもいいし、南にいって、イラクのクルド自治区に入れたら入ってもいいな、なんて考えていた。エルズルムといって切符をかったようだが、どうも、おかしい。イスタンブールに連れて行かれそうな感じがしていた。
12/28
夜明け前に、トルコとの国境。出国にだいぶ時間がかかり、寒い思いをしたが、無事トルコ入国。外はマイナス20度。バスに乗っていたら、おこされ朝食。パンにバターとはちみつをぬって食べる。まずくはないが、なんとなくあじけない。
どうも、目的の町は知らない間にすぎたようで、バスはひたすら西に。もう面倒なのでイスタンブールまで行くことにした。
12/29
イスタンブール着。夜明け前で、真っ暗。自分がどこにいるかぜんぜんわからず、寒く、暗い街をあるく。巨大なモスクがあるが、よくわからないので、とりあえずcafeに入り、茶を飲む。よくわからないが、坂をくだっていったら、海があり、船があり、電車も走っていた。
今日はブルガリアに行くことにした。国境の町エディルネまでは2,3時間。バスの外は雪がちらつく。
エディルネまでは順調。国境地区までは乗り合いバス。国境をわたり、ブルガリア入国。少し休んで、トルコに再入国し、イスタンブールにもどった。
今日も夜行バス。レイハンル行きのバスがあったので、それにのる。夜のイスタンブールはきれいだった。
12/30
昼過ぎにレイハンル。ダマスカス行きのバスに乗る。国境の通過に時間はかかったが、無事シリア入国。ダマスカスは雨。しかし、だれも傘をささない。傘を使わない文化の国に来た。ここで、やっと宿屋に泊った。日本に出てから初めてのベッドで、よく眠った。
12/31
テレビでは戦闘シーン、血を流すこどもの映像が流れていた。イスラエルがガザ地区に攻撃を仕掛けているらしかった。デモも各地で行われていて、少々ニギヤカだった。
今日はクネイトラというゴラン高原の町に行く。シリア内務省の許可がいるとのことなので、まずは内務省の事務所に行き、許可証をもらった。乗り合いバスにゆられ、クネイトラの近く町までやってきた。そこからクネイトラまではタクシーを利用。ここは、イスラエルが一時占領していたところで、イスラエルが退去するときに町を徹底的に破壊して出て行ったゆう。そのまま残してイスラエルに対する怨念をわすれないという、地域。単独行動はゆるされず、シリアの役人と一緒に町を歩く。廃墟、廃墟。果てしなく廃墟が続く。しかし、5世帯ほど人が住んでいる。フランスにも、ドイツに破壊された町をそのままにしておいている場所があったが、ヨーロッパ系の国は恨みを忘れないらしい。
ダマスカスに戻り、まだ時間が早いので、今日はレバノンのベイルートに行くことにした。国境までは順調であった。しかし、、、国境で置いていかれることになった。入国審査が混んでいて、時間がかかり、バスは私の荷物を私のもとにおいて、行ってしまった。その上、私はトランジットビザで日数的には問題がないのに2週間ビザをとらされ、余計金がかかり、とてもむかつくレバノンだった。国境の町には宿屋は一軒しかなく、近くの大きな町まではだいぶあるようなのであきらめて、国境の町に泊まった。宿代は15ドル。安くはないな。
1/1
朝起きて、ベイルートの方に歩く。バスはなく、タクシーのみ。タクシーは高いという先入観があり、2時間ほど氷点下の道を歩いた。しかし、いい加減疲れたので、タクシーで隣町までいった。タクシー代1ドルほど。こんなことらな前の日にタクシーを使えばよかったと、少々後悔した。でも、ベーカー高原の素晴らしい風景が見られたからいいかな。
今日はバールベック遺跡をみて、シリアに帰る予定である。乗り合いバスでバールベック遺跡にいった。中に入るとえらく高いので、外側からみたが、十分楽しめた。なかなかの遺跡で、とてもよかった。中東、ヨーロッパは一つの文化圏とつくづくおもった。
シリアとレバノンはすぐ近くなので、夕方前にはダマスカスに戻った。ダマスカスの旧市街は商店で、なんでもうっている。このような市場は歩いていて楽しい。時間がたつのも忘れ、歩き回った。
1/2
今日はアンマンに行く。アンマン直通のバスはあったが、国際線なので高くつく、なんて考えアンマン国境の町までまず出行ったのが悪かった。アンマン国境までは良かったが、そこからアンマンまでのバスがない。デモをやっている町で聞いて回るが、ないという。警官もないという。仕方がないので乗り合いタクシー。アンマンの市街地で降ろされ、そこから市街地までのタクシーが高く、はじめからアンマン直通のバスに乗ればよかったと、後悔。途中イスラエルへの攻撃に対するデモをやっていたが、市街地は静かだった。夕食はイラク料理を食べた。
1/3
今日は飛行機でカイロに行く。陸路の方が旅は楽しいのだが、陸路あるいは海路を使ってエジプトに行くと、イスラエルに入国したということになり、イランなど反イスラエルの国に入国することができなくなるので、仕方なく飛行機でカイロにいくことにした。
夜明け前に宿をでて、パスを乗り継ぎ、空港へ。飛行機なのであっさりとカイロ。途中の大地は緑のない砂漠だった。
カイロにつき、バスでダウンタウンに行く。安い宿を見つけ、荷物を置き、博物館など見物。国立博物館は博物館というより、倉庫みたいな感じで、大量の遺跡が陳列されたいた。夜のナイル川はきれいだった。
1/4
今日は有名なピラミッドとスフィンクス見物とナイル川クルーズ。
乗り合いバスでギザへ。わりあい簡単にビラミットにつく。結構高いに入場料払い、ピラミッドエリアに入った。ピラミッド、でかいです。一番でかいピラミッドの内部にはいり、一番奥の何にもない部屋までいき、その後はうるさいラクダの客引きをさけて砂漠のお散歩をし、スフィンクスにあいさつをして、市街地にもどった。
夜はナイル川クルーズ。食事はあまりうまくはないが、まあ、エジプトなので。生演奏では、最初の曲が銀座の恋の物語。日本人が多いのね。ベリーダンスはあまり感動もなかったけど、なんていうのかしらないが、男性が長い時間クルクル回る踊りをしていて、これは感動もの。よく、目が回らないものと関心。これを見るだけでもクルーズの価値あり。ナイル川は隅田川みたいな感じかな。
1/5
いよいよ、最終日。エジプトからモスクワ経由で日本に帰ります。モスクワの空港では待ち時間が10数時間あり、待ちくたびれた。次回からはトランジットピザをとって、おこう。長い旅もお・し・ま・い。
