キルギスタン、カザフスタン、ウズベキスタン

 〜スタンの旅

 今回はキルギスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタンです。いつものことながら今回もまよいました。イランにいって、アフガンにいこうか、ワルシャワからフィンランドなどをめぐるバルト海周遊などなど。北欧は生活費が高いので却下。アフガンにはとっても行きたかったのだが、迷っていうちにビザが間に合わなくなった。パミール高原の国には前々から行きたかったのだが、なかなか機会が無くちょっとうれしい。キルギスはビザ不要、ウズベキスタンも簡単にとれた。カザフスタンは旅行業者のだした書類が必要なため業者に依頼。出発の前日の1月6日書類がすべてそろうこととなった。ただ、タジキスタンのビザはないけど、なんとかなるかな。
 

 1月7日
 予定通り成田発。予定通り、モスクワに着いた。23時10分の予定で飛行機に乗るがいっこうに出発しない。ついには飛行機から降ろされ、待つ。掲示板では午前2時となる。しかし、時間が近づいてもなにも案内がない。仕方がないので、シュラフで寝るかなと準備をしていると〜〜ビシュケク、〜〜石井と聞こえてきた。あわてて空港内をはしりまわるがわからない。歩いているうちに、飛行機に一緒にのっていた異様に太いおばちゃんを発見。いろいろとあったが、その夜はあえろフロートが用意したホテルに泊まることとなった。空港前のNOVOTELで、今回の旅で一番いいホテルだった。3時間ほど寝たらモーニングコールがかかり、朝食。朝食は飛行機会社だけに、エコノミークラスの食事並。そしてバスでまた空港へ。

1月8日
 10時に出発。モスクワからつづく雲はキルギスのビシュケクまでとぎれなかった。恐るべき雲である。13:50に雪のビシュケクについた。とりあえず、バスで町にでた。夕暮れで、寒くなり現在位置もわからない。右も左もわからずちょっと不安だったので、タクシーでバスターミナルへ。20:50にタシケント行きのバスがあったので、それに乗ることとし、しばしKAFEで休息。シュウマイのようなものとパンと茶で160円ぐらい。驚くべきことに、ここはムスリムのくになのに、男は髭をはやさず、女も素顔で会釈をして笑顔で接客をする。ロシアの植民地だったからか、イスラム化して時間が短いからかはわからないが、これは驚いた。ちなにみキルギスタンがイスラム化したのは19世紀になってからだそうだ。
 あまりきれいでないバスで定時出発。途中カザフスタンを通過。入国時にしっかりビザにはんこがおされた。ちょっと不安になった。

1月9日
 カザフスタンの国境でバスをおろされ、現地人にもみくちゃにされた。どうも、両替屋さんらしかった。こんなに、奪うようにされたのははじめてで、ちょっとこわかった。カザフスタンのイミグレーションではしっかりと「VISA FINISHED」といわれてしまった。さてどうしよう。帰りにタシケントからビシュケクにどうやってかえろうか。不安にはなったが、それはそれとして困ったのは、「なぜバスはいないのかな」ということ。バスのチケットはタシケントまでなのに、、、。まってても埒があかないので、町まででた。
 タシケントでとりあえず、カザフスタンのビザをとってということは、そのときは考えなかった。フェルガナ盆地からキルギスのオッシュにはいり、そこからビシュケクに行けばいいじゃん等と軽く考えていた。よって、そのままバスに乗りウズベキスタン西部のヒバに向かう。タシケントからおよそ1000キロ。でもバス代は1000円。となりに座ったお十代の女性がひまわりの種をくれたので、それを食べながら寝た。パキスタンやアフガンでは考えられないことである。アフガニスタンではサラン峠を境に南はパキスタン系、北は北部同盟(CISの国々)。これだけ違う文化をもった人が一緒にやっていくのは難しいだろうなと、思った。
 ウズベキスタン人は人なつっこく親切だった。明け方近くまではずっと雪だったが、夜明け頃になって雪がやむ。サマルカンドをこえると地面が乾き始めた。乾燥地帯にきた。

1月10日
 9時過ぎにひばに到着。イチャン・からと呼ばれる旧市街の周りは市が立っていてにぎやかだが、からのなかは観光客もおらず閑散としていた。からを歩いていたら、少女が寄ってきて自分の店があるからよっていけと、パキスタンではありえない光景にでくわし、ちょっとうれしかった。さすがわ観光地でちゃんと英語ができるので、人と会話ができたのもうれしかったのでちょっとしたおみあげを買った。
イチャン・からは町全体が博物館といわれているらしいが、城壁の内部は歴史的建造物であふれていて、ちょっと感動。ただ、やはり世界遺産料金で見学に500円、写真をとると120円。ミナレット(塔)に登るとエキストラ料金100。現地の物価からするとちと高い。
 しかし、100円だしてもミナレットに登る価値はあり、私が登ったミナレットは45メーターほどあるのだが、狭い急な階段を登ると町全体が見渡せ、感動ものである。
 ひば見学は午前中で終わってしまったため、ウルゲンチという近くの大きな町に行った。そこで昼飯をすませ(安い30円ぐらい)、タクシーでアヤズ・カラを見に行った。ここは海外青年協力隊の29歳の女性が現地レポートで一押ししていたところ(そういえば彼女のおかげか、ヒバでは日本人かときかれたな)。タクシーの相場はわからなかったが、40$と言ってきたので、一応30$に値切ったら、それでOK。相場はもって安かったのかもしれない。タクシーの運ちゃんはヒバでホテルを経営していて、15年ぐらい前にハバロフスキーに2年兵役で行っていて、現在33歳。男の子3人女の子を1人もつと自己紹介。気さくなおじさんだった。ほとんど英語を知らない人とでもこの程度の情報交換はできるので、外国語が分からないと言ってツアー旅行しかしないというのはもったいないですよ。
 アヤズ・カラは町からは一時間ぐらいはなれた、砂漠の真ん中の丘の上にあった。土の壁が残っているだけだが、そこから見た風景は何ともいえないもので、えらくつかれたが、これだけでもウズベキスタンにきたかいがあったというものである。写真ではわからないと思うが、はてしなく砂漠(日本人の感覚からいうと荒れ地か)が広がるさまは言葉でも写真でもあらわせない。昔の騎馬民族の人々が闊歩していたのかなと思うと、不思議な気分になる。サマルカンドのきれいな建物よりはずっといいにちがいない。サマルカンドには行っていないので確かなことはわからないけど。
 アヤズ・カラをおりると運ちゃんは別のカラにもつれていきたいみたいだったが、時間があまりないので、町に戻りそのままタシケント行きのバスに乗った。
 ここで少し不安になる。金曜日までにはたしてキルギスのビシュケクに戻れるのか。カザフスタンのビザはすでになく、タシケントからビシュケクまではバスでは行けない。
そうするととれる手段は
 ・サマルカンドから電車でアンディジャンまでいき、キルギスのオシュにはいり、そこから飛行機でビシュケクにいく。
 ・タシケントで飛行機の帰りの便の変更をして、タシケントアウトにする。
 ・タシケントでカザフのビザをとる。
 最初の予定では1を考えていて、タジキスタンにいけるじゃんなんて思っていたし、サマルカンド見物もできて、いいななんて思っていたが、オシュから飛行機に乗れなかったらビシュケクにはいけない。今回は予定日に帰れないというのはちょっと事情があり、絶対にできないので、冒険はできないため、2か3をとることとし、とりあえずタシケントに向かう。ウズベキスタン人はみな親切で、いろいろな人が声をかけてくれるのた。このバスの隣に座った人一行は食事の時に、一緒にたべようとさそってくれてた。たくさん注文してはたべろたべろと親切だった。酔っぱらいのおじさんは日本・ウズベキスタン親交だといって、酒をのめとしつこかった(このおじさんは「さけ」と発音していた)。酔っぱらいはどこの国でも一緒だと思った。

1月11日
 朝9時にタシケントについた。まだ時間が早かったので、トラウム(路面電車)にのって町にでようと思ったが、えらく遅いので、バスに乗り換える。バスも行き先がよくわからず、結局タクシーで航空会社が集中している旧ロシアホテルまでいった。アエロフロートの店らしきところに行き、帰りをタシケントアウトにしようと思ったが、首を横に振られらちがあかない。日本のあえろフロートに電話をしたが、変更はビシュケクでないとできないと言われ没。となりがウズベキスタン航空なのでタシケント−>ビシュケクをかおうとしたら、予約でいっぱい。カザフスタンのビザをとろうと思ったが写真が無く、近くの写真屋はコンピュータトラブルで写真ができず。タイムアウト(しかもあす水曜日はビザの受付をしていない)。しかたがないので、とりあえずキルギス第二の都市オシュからビシュケクまでの航空券を買った。70$とちと高いがしかたがない。日本大使館に行ってみたが、移転していてなくなっていた。ウズベキスタン日本センターにもいってみたが、役にはたたなかった。ここはウズベキスタン人のためのもので、日本の文化(あいかわらず、お茶お花の世界)を紹介したり、日本の映画を見せたりするものらしい。男はつらいよが全巻そろっていて笑えた。そこの利用者のウズベキスタン男性が話しかけてきて、サマルカンドはいいところだといっていたが、こっちはそれどころではなく、そうそうに立ち去る。さて、問題はどうやってオシュまでいくかだが、本当はバスで行きたかった。しかし、途中タジキスタン領内を通る可能性がたかく、タジキスタンのビザがないため追い返される可能性があった。時間がふんだんにあれば、それもおもしろいのだが、失敗は許されない状況なのであきらめ、国境の町のアンディジャンまで飛行機で行くことにした。ガイドブックでは55$となっていたが、背に腹はかえられないので、ウズベキスタン航空に行くとなんと15.5$。まあ、直線距離で100キロちょっとしかないのだが、バスとたいして変わらない値段で、えらく驚いた。安いのであるが、なぜかクレジットカードがとおらず、手持ちの現金(サムという)は少なく、店をでて換金したいが、両替屋はなし。しかたなく、ピロシキ屋にたのんだら10$8000サムという。ふつうは10000サムなのに人の足下をみやがると、ちょっとくやくかったが、ここでも背に腹はかえられないのでたんのだ。無事航空券を手に入れ、コーリアンホテルに宿泊。旅にでて初めて体をあらい、ベットでゆっくり寝た。30$と高い宿だが、ゆっくりできた。気分が落ち着くと、さっきまでの焦りはどこかにいき、きっとオシュからビシュケクに定時にいけるにちがいないという、楽観的な気分が戻ってきた。不思議なものである。
 基本的にはあまり、日本以外の交通機関を信用していない。飛行機ですらそう。ブラジルから帰ってくるときに飛行機が数時間遅れ、アトランタに着いたときには予定の便は出発済み、次の便でロスについたときには、東京までの便の出発まで30分、なんてことがあった。アフガンから帰ってくるときはパキスタンの空港が閉鎖され、飛行機ではアフガンからかえってこれず、イスラマバードから東京までの便も予約がキャンセルせれていた。これも大変だったな。今回もロシアからキルギスまでの便は12時間ほど遅れた。まあ、オシュからビシュケクまでは毎日フライトがあるから、きっと大丈夫に違いないと信じることにした。まあ、インシャ・ラーか。夜日本に携帯で電話をした。娘がでたが途中できれてしまい、その後向こうから電話をしてきた。外国からも今までどおりの携帯の番号が使えて自由に通話ができるなんて不思議な気分である。

1月12日
 今日はくもり。布団の中でごろごろしていると、フロントから電話。朝飯は食うのか。いくらときいたらただというので、すぐに食べにいく。でてきたのは、ご飯と汁物、白菜と大根のキムチとモヤシ。日本流にいうとご飯と味噌汁とおしんこといった感じで、質素。11:30ごろチェクアウト。32$(宿代は30ドルで、パインアップルジュースが2ドル)。
 町を歩き昼食をとった。食べたのは昨日と同じ肉をやいたものをパンでははさんだやつ。最近東京でもみるやつで、肉の塊を串に刺して、横から火であぶって、切り取ったもの。やはりタシケントは都会なのか高い。それでも、80円ぐらいなのだが。そのあとウズベキスタンホテルのラウンジでまずいコーヒーを250円出して飲む。高級ホテルのいいところはトイレに壁があること。まわりの目を気にせずにしゃがんで用を足せるのはうれしい。まあ、慣れの問題かもしれないが、やはりまわりの壁の高さが一メートルぐらいしかなく、しかも三方しか覆われていないところでは、落ち着けないものである。そういえば、ウズベキスタンのバスはトイレ休憩は、原っぱということが多く、男はそこらへんで用を足していたが、スカートをはいた女性もなにをしているかはわからないが、そこらへんでしゃがんでいた。
 バスに乗って空港に行き、無事に飛行機に乗ることができた。でも、タシケントの空港はいい加減で、国内線と国際線の入り口はひとつだけで、出国の人はイミグレーションを通るが、国内線のひとはその脇をとおっていく。ついた先は同じところ。だれが通ってもわからない。日本にはない鷹揚さである。定時に飛行機は出発。乗っているのは50人ぐらいか。30分でアンディジャンに到着。空港をでるとタクシーの運ちゃんがよってくる。こちらはバスで町まで行って、そこからバスでオシュにいこうと思っているのだが、バスは無いらしい。英語のしゃべれるおじさんが通訳をしてくれて、オシュまで10$だといっているという。少し無視してたら、ほかにも乗る人ができたようで5$といってきた。よしゃ乗ったということで、神風タクシーにのって国境に向かった。途中で、運ちゃんは車を止めてお祈りを始めた。初めてムスリムの国にきたことを実感できた。
  空港から国境まで50Kmといったところ。安いようだが、降りるときに7$とふっかけてきた。国境のを抜けるときにイミグレーションでお世話をしたじゃないかとか、夜遅いからとかいっているようだった。まあ、遠くまできてくれたので、60000サムを渡したら、喜んでいた。アンディジャンからオシュまでの車窓の風景は盆地の夕方のそれで、結構おもむきがあり、すてきなところだ。時間があれば、ゆっくりしてもいいかも。ウズベキスタンの出国は時間がかかった。よほど暇なのかパスポートの写真と髭の生えた私の顔を見比べて数分あでもなこーでもないと同僚と話をしていた。しかし、賄賂を要求されることもなく、無事国境を越えられた。悪名高きウズベクの警察から賄賂を要求されなかったのはおどろきだった。
 国境でタクシー交代。安い宿につれていってくれるという。乗るとき料金をきめなかったので、後でもめるかなと思ったが、その通りになった。運ちゃんは5$という。4.5$換算のウズベキスタンサムがあったので、それではだめだ、ドルがないなキルギスソムで払えと難癖をつくてくる。この程度の距離なら3$だといってしばらく言い合いをしていた。3$と2500サムを渡したらもっとよこせといってきたので、頭にきたのでそのまま立ち去ったが、追っかけてはこなかった。むなくそわるいので、運ちゃんがつけてきてくれたホテルには泊まらず、ほかにしたいと思ったが、結局見つからず運ちゃんご推薦の宿にとまった。相部屋だが800円ぐらできれいでいい宿だった。

1月13日
 夜中の2時ごろ目が覚めて、うとうとしなが夜が明けた。ここは標高が900mほどあるためか、少々寒かった。松本ぐらいか。9時に宿をでて、山に登る。高さは100mほどの岩山で、石灰岩でできていた。中腹にはモスクがあり、おみやげを売っていた。ここで、日本に携帯から電話。パキスタンに行ったときに外国からかけられる携帯をレンタルしていけばよかったなと、つくづく思った(ちなみにレンタル料は一日200円である)。
 ハイキングを終えてバザールで昼食をとって、空港に向かう。トローリーバスーでそれらしきところまでいき、一時間ぐらい歩くと空港に着いた。まだ、時間が早かったので寒い空港で待っていたが、30分遅れで飛行機は出発。無事ビシュケクに到着。バスで町に向かうが、ひどい車で時速20kぐらいしかでず、しばしば止まった。それでもふつうの倍以上の時間をかけて町についた。しかし、これで予定通り日本に帰れるのだという実感がでてきてうれしかった。
 9時近くで人通りも少なく、ホテルもわかない状態で警官を発見。実に怪しかったが(パトカーからガソリンを抜いてビール瓶に入れていた)、近くにホテルはないかと聞いてみた。車に乗れと言われ、何軒かいってくれたが、どこもあいていないという。そうしたら50$でもいいかと聞いてきた。いい加減仕方ないという気分になっていたため、50$でも風呂にはいれればいいかと思いOKした。警官が入り口のカウンターで店の人となにやら話していて、その話に加わろうとしたが警官のひとりが上にこいという。部屋は古いが、トイレ以外は清潔な感じだった。警官は走って帰ってしまった。フロントの中国人らしいおばちゃんは英語を全く解さず、一泊いくらなのか、そもそも警官は宿代を支払っていったのか等確認ができなかった。この時点でいいかもにされたなとは思ったが、どの程度の被害にあったのかわからない。このホテルは20〜30$ぐらいだろう。不安になるが、まあ、被害は最大でも50$と自分に言い聞かせ寝る。

1月14日
 9時前にチェックアウト。宿代を取られなかったところをみると、あの警官は一日分のホテル代は払ったようだ。すると被害は25$ぐらいかな。町はまだ静か。右も左もよくわからない。場所をきいても、手元の地図とはちょっと違っていて困った。とりあえずビシュケクの鉄道の駅に行こうと思ったが、全然つかない。そのうち、オシュバザールに行き当たり、ビシュケクの地図が頭にはいり、以後はもう困らなかった。オシュバザールでは食べ物はなんでもあった。肉屋は羊さんコーナー、豚さんコーナー、牛さんコーナー、鳥さんコーナーにわかれ、それこそすべての部品が所狭しと並べてあった。野菜、乳製品等々、みていて飽きない。一目で観光客とわかる私に、巨大な肉の塊を売りにくるおばちゃんには笑ってしまった。市場で昼飯を食べて、今度はトローリーバスで町の中心までいく。少し歩くとハヤットがあり、ラウンジに。カフェオーレをたんのだところ、本物のコーヒーでうれしかった。2時間ほどくつろぎ、駐車場のにいちゃんに空港までのバス停を聞くがわからない。タクシーが便利だよと教えてくれた。そんなことはわかっていると思ったが、タクシーの相場を聞くことができた(300som)。そろそろ夕方だったのでタクシーの運ちゃんと値段の交渉。はじめ350だといってきた。たかいからイヤだといったら300で交渉決着。初めて乗るBMWである。そういえば初めて乗ったメルセデスもタクシーだった。ギリシャのミケーネの遺跡に行くときに使ったのだか、あれはひどくぼろかった。
 疲れたのでバスに乗って町にかえってホテルに泊まりたいなとも思ったのだが、宿代がもったいなくなり、空港に宿泊。シュラフにはいって寝ていると警官が声をかけてきたが、賄賂を要求されることもなく無事に朝を迎えることができた。ただ、かぜを引いてしまったようで、この後は結構苦しかった。41にもなったのだから、1000円をケチらなくてもと思うのであるが、性分だからしょうがない。

1月15日
 朝早く飛行機に乗りモスクワを目指す。ビシュケクからずっと曇り。モスクワまでの雲は厚い。
飛行機の上に薄い雲があり、その下に厚い雲があり、すこしあけて地上近くに雲があった。モスクワは厚い雲の下である。モスクワではトランジットに12時間。退屈だったが読みかけの本をよみ、時間をつぶす。ここで、新しい知識を入手。キャビアってチョウザメの卵のことだけではなく、レッドサーモンキャビアなんてのも売っていた。これって、いくらだよね。いくらも高かったけど、チョウザメのキャビアに比べたらえらくやすかった。
 ちょこのおみあげをかって飛行機に乗り16日に成田到着。でも、そのチョコは京王線の網棚に忘れて行方不明。ちょっと残念。











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