北部ヨーロッパ旅行 22.12.30→22.1.13 |
ドイツ人の友人にクレイジーと言われた、ちょっと怖い思いもした、寒い国々でした。
今回は、finairが年末にも関わらずとても安かったので、ヨーロッパに行ってきました。でも、滞在費、交通費は高かったなー。
12/30 成田発、ヘルシンキ着、タリン泊
12/31 タリン発、リガ経由、ヴィリニュス泊
1/1 ヴィリニュス発 ミンスク着
1/2 キエフ着、オデッサ、キシナウ
1/3 キシナウ発、ローマニア、ハンガリー、スロバキア経由
1/4 プラハ着
1/5 ミュンヘン着、泊
1/6 ハンブルク着、
1/7 デンマーク、スエーデン経由、オスロ着
1/8 オスロ
1/9 オスロ
1/10 Longyearbyen
1/11 オスロ
1/12 オスロ発 コペンハーゲン、ヘルシンキ経由
1/13 成田
12月30日
成田を一時間遅れ出発。ヘルシンキ到着は四時ちょい前。マイナス六度。バス1635発で中央駅へ1720着。タクシーで港1730。12ユーロ。
エストニアへの船はたくさん出ているが、高速船はちょうどなく、1830の船でタリンへ。32ユーロ。定刻で22時タリン。そしてタクシーでバス停。ぼられて300eeと12ユーロ。バス停にいくが、南に行くバスはもうなかった。サンクトペテルブルク行きはあったが、ロシアではね。ビザがないので入れない。ホテルもパスターミナルにはなく、雪のタリンを歩きまわるのも疲れたので、仕方なく朝までカフェ。コーヒー2はいで24ee。
12/31
いろいろあり7時タリン発。1120にラトビアのリガ着。ずっと雪だったが、夕方から曇り。青空が見えた。今年最後の夕日はきれいだ!
でもすぐに雪。八時過ぎにリトアニアのビルナスに到着。ワルシャワやキエフ行きのバスはちっともこない。正月休みたい。疲れたので、高い宿に泊まった。街は花火でにぎわっていた。
1/1
6時起床。バス停にむかう。途中10ユーロの宿がありショック。バス停はカウンターはしまっていて、バスがくるかわからないので、電車に。0630発8時頃ベラルーシに入った。
ミンスクにつき、とりあえずバスターミナルまでいこうと思うが、誰に聞いてもわからない。仕方ないのでタクシーを使う。40000。しかしキエフやワルシャワ行きはなし。16h発リトアニア行きはあった。一度駅に戻った。バス代650。 20:50のキエフ行きがあったのでそれに乗った。
1/2
早朝、キエフに到着。キエフの駅を歩いていたら、オデッサ行きの列車があったので、とりあえず、飛び乗る。車掌のおばさんが、OK,OKというので乗ったが、職員のコンパートメントを案内され、50ユーロをとられた。安いのかどうかは不明。雪の中を列車はオデッサに向かった。夕刻、オデッサに到着。帝政ロシア時代のような駅舎で、美しかった。今回モルドバに行きたかったのであるが、とりあえずバスータミナルまでタクシーを使った。チケット売り場でモルドバ、と叫んでいたら、よくわからな切符を売ってくれた。実はここら辺はキリル文字なので、何が書いてあるかわからない。夜半前にパスに乗り、パスポートコントロールを通って3時過ぎにパスをおろされる。野良犬のたくさんいる場所で、どうもバスターミナルらしいが、建物はしまっていて、タクシーの運ちゃんぐらいしかおらず、さびしいところだった。
よっぱらいの自称医師のおにいちゃんが絡んできて、実に困った。一人でいても野犬も怖いし、兄ちゃんはWhat your name? を連発。何十回も答えて、いい加減うんざりしてきたので無視していたら、ナイフを取り出し私の後ろの壁にさし、ぐりぐりやって、壁に穴をあけていた。やばいとは思ったが、逃げて追っかけられても困るので、自分の名前を答えて開けた。しばらくするとパスターミナルに人がきたので、そちらに移動。やっとその兄ちゃんから解放された。
1/3
兄ちゃんから解放され、しばらくすると、パスターミナルが開きいた。少々暖かい。やはり、氷点下の世界は寒いので、ちょっとの暖かさでもうれいしい。ちょうど、プラハ行きのバスがあったので、それに乗った。パスを待っている間、なんだか親切なおばさんが靴下や肉の缶詰をくれた。酔っ払いの兄ちゃんに絡まれているのをみて、気の毒に思って親切にしてくれたのかも。でも、何を言っているのはわからないので、詳細は不明。でも、親切を受けるのはいいもんね。
パスは北上し、パルティを通って、ダム湖のあたりでルーマニア入国。この辺りではまだ、つるべの井戸を使っていた。ルーマニアの田舎はきれい。ゆっくり旅行をしたい場所。
1/4
バスはハンガリー、スロバキア、を通って、チェコのプラハ到着。プラハはきれいな街だった。この日のうちに友人の待つミューヘンに行きたかったが、book is fullとのことで、翌日に。友人にわびのメールを入れた。
久しぶりに宿に泊まった。12/31に泊まって以来。ベッドがうれしい。
1/5
昼過ぎにミュンヘン到着。途中BMWのおっきな工事用があった。友人というか父の友人の子供であるが、ミュンヘンで弁護士をしている。昨年彼が日本に来た時に、富士山に行きたいというので連れて行った。
彼が迎えに来てくれて、宿をとり、彼の案内で町をあるいた。ヒットラーが逮捕された場所など、歴史の深い街だった。夜はソーセージやに行き、彼はビール。ソーセージはうまかった。
よく日の相談をしたところ、飛行機がいいだろとの彼の提案。私は電車で行きたかったのだが、安く行こうとすると6回ぐらい乗り換えがあり、し現実的でないと、彼はいう。高速鉄道は飛行機より高い。ということで、飛行機の予約をした。
1/6
彼としては私とスキーに行きたかったみたいだが、ありま気乗りがしなかったので、博物館に連れて行ってもらった。なかり見ごたえがあり、数時間では見足りない感じだが、彼は先に飽きてしまったよう。彼に車で飛行場まで送ってもらったが、ゴルフで時速200kmで走っていて、少々怖かった。彼はドイツではこれが普通というが、慣れとは怖いものである。
飛行機は早く、あっという間にハンブルク。その日の夜にオスロへの夜行バスがあり、予約をした。
1/7
ハンブルクを出発したパスは、途中フェリーに乗り、明け方にコペンハーゲンに到着。荷物とともに降ろされた。氷点下の中だいぶ待つとパスがきて、またそれに乗った。途中またバスターミナルで降ろされ、1時間ぐらいして、別のバスにまた乗り、夕刻にオスロについた。ここも、寒い街である。
どうも、よくわからなかったが、泊まる予定のユースはsinsenというところまでパスか路面電車でいけば、すぐみたいなので、あまりあせらず、町の見物をしたが、物価が高い。すごく高い。350Mlのペットボトルのジュースが400円ぐらい。マックで、ハンバーガー、ポテト、ジュースを頼むと2000円。ここから、私の耐乏生活が始まった。
ユースはまあまあであった。でも、室内も肌寒い。ユースは朝食はつくので、朝めいいっぱい食べて、昼夜はかなり我慢というのがオスロでの生活となった。
1/8
歩いて町中までいった。町を歩くのは楽しい。遺跡や世界遺産よりも、町をあるいて、普通の人たちの顔をみて、市場を見て回るのが私は楽しい。
それにしても、物価が高い。物乞いをしてるばあちゃんがいて、どの国にもいるもんだ、と思った。
1/9
町の中の散策。たまに現地人がクロカンで通勤をしていた。
1/10
今日はOslo - Longyearbyenの日朝早くチェックアウトをすませ、空港へ。空港はマイナス20゜C。今日はスバールバルという島にいく。この島は人口1000人以上の町の中では、最北の町。もともとは人は住んでいなかったが、今は研究者が多数いるところらしい。しかし、旅の疲れかこのころより元気がなくなる。
スバールバル真っ暗で、吹雪。宿屋もとっておらず、何か気力がなくなり、明日帰る予定を早めてとんぼ返り。夏に来れば、いいところだったんだろうな。オスロに帰って、また同じユースに宿泊。
1/11
今日も快晴。でも、一度もオーロラがみられない。太陽活動が穏やかなので、仕方がかないか。やることもないので、町のさんさく。
1/12
やっと帰国。オスロ発 コペンハーゲン、ヘルシンキ経由成田。
長い休みをさせてくれた同僚のみなさん、ありがとう。
