今回はちょっとアクシデントがあり、いろいろと困ったことのあった旅でした。
ほんの一瞬のできごとで、気がついたときには現金、帰りの航空券、カメラなどのはいったウエストバックが盗まれていた。盗難事件を軸に旅は進む。
今年の9月は敬老の日や秋分の日があるため、5日休むと11連休になるのでどこかにいきたと思っていた。アフガニスタンにいきたいと思ったが、そのときあたった旅行会社ではとれないという。仕方がないので、キルギスタンにいこうと思って予約したが、出発一つ前になってもウェイティング状態であった。仕方がないというわけではないのであるが、リオが11万後半で出ていたのでブラジルにいくことにした。ブラジルはビザが必要で、以前もいった五反田の領事館でビザをとった。以前よりブラジルの通貨ヘアルが下落し、ビザ代は少々安くなっていた。
12日は午前中仕事をして、午後出発。12時間ほどでニューヨークにつく。ニューヨークで5時間ほど時間に余裕があったので、グランドゼロを見に行った。2年前の12月とは大違いできれいになっていた。あの事件も歴史の一部になったと実感した。
夜中にニューヨークをでて、サンパウロに朝ついた。そこから乗り換えでリオにいくのであるが、今後の予定はパンタナール方面を考えていたので、リオにいかずにサンパウロでおりたいな、、、、なんて思っていたが、結局リオについた。
リオではまず長距離バスターミナルにいった。ボリビアとの国境の町コルンバへの切符を買い、バスの中で出発を待っていたときに事件はおこった。貴重品は胸ポケットとウエストバックにいれていた。添乗員のような男がきて、ウエストバックをつり棚においてあるザックの中にいれろという。おかしいなと思い、はじめは無視していたのだが、何回かいわれ、添乗員のようだったので、つい信じてウエストバックからクレジットカードを抜いて、それをザックにいれた。30秒もしないうちにやはりおかしいと思い、ザックをみると先ほどおいた場所とは違う場所にある。慌てて中を見ると、ウエストバックは無くなっていた。もうすぐバスの出発時間だったので、慌ててバスをでた。そのときめがねをバスに忘れてしまった。ただ、その泥棒は一応親切で、パスポートは胸ポケットに入れておけと、アドバイスをしてくれた。
とりあえず、バスターミナルのポリスにいく。状況を話すと、すこしまっていろと言われ、いすに座っていた。待ってる間にも、なにか捕まったひとが警官にひざげりとかをされていて、ちょっとこわかった。そのうち、別の警官がきて、パトカーにのせられる。コカパバーナ浜辺などを横目にみながら車ははしっていく。20分ぐらい下ところでおろされたのが、ツーリストポリスであった。調書を作ってもらい受け取ったあとつ、驚くべきことに警官がクレジットカードの使える安い宿屋を探してくれたのである。パトカーに乗って何件かあたったが、50ドル程度の宿屋はクレジットカードの使えるところがなく、2時間ぐらいさがしてくれた。そのうちにコパ海岸の大きなホテルまできて、そこにいる日本人を呼んできて、通訳をしてくれたのであるが、これはあまり役に立たず、警察は帰ってしまったが、そこにいたタクシーの運ちゃんが今度はカードのキャッシングのできる場所を探してしばらく車で動いてくれたのである。結局キャッシングはできず(日本に帰ってわかったのであるが、キャッシングのできないカードであった)、その人が見つけてきてくれたホテルではなぜかカードがエラーで使えなかった。夜も深まり、その運ちゃんに申し訳ないので、空港にいくように頼んだ。空港であれば少なくとも雨露はしのげ、一応安全が保たれる。どうしようもなければ一週間空港にいるつもりであった。運ちゃんは空港とは反対の方向に進み、なにやら日本料理屋の前にとまった。すると店に入り事情を説明し援助を頼んでくれた。そこが安積であり、小原さんであった。
安積ではクレジットカードが使えたので、飯を食い、100ドル程度クレジットカードをつかったことにして、現金を出してもらった。彼は昭和30年代の後半にブラジルにわたった人で、ブラジルで成功した人であった。彼にブラジルの国内の事情や人柄、日系人の活躍などについて聞いた。翌日自宅を訪問するよういわれ、その日は隣のホテルにとまった。このホテルは50ドルほどで、少々高いが現金の持ち合わせがあまりないのでしょうがない。コパ海岸あたりのホテルの相場らしいが、、、10ドルほどまけてもらったようである。朝食はまあまあであった。
翌日タクシーで小原さんの自宅に向かう。どうも、運ちゃんは道がわからないようで、同じ道をいったりきたりしていた。小原さんの自宅は策で囲まれたエリアにあり、入り口では入場者のチェックをしていた。彼の家は、まあお屋敷で今だけでもうちよりずっと広い。グランドピアノがあり、プールがありとこんな金持ちの家にきたことはない、という感じ。彼と息子さんと話をして、サウナに入り食事にいった。シュラスコという焼肉やで、入り口で車のかぎを店員に渡し中に入るというちょっとした高級店。今回のたびで一番おいしい食事であった。ブラジル人はたくさん食べ物を取って、ほしいだけ食べて残すという食習慣がある。どうも日本人の私には、もったいい、という感じがあって抵抗があるのである。この点で日本育ちの小原さんとは話が合う。食後は紛失した航空券の再発行のために息子と空港にいった。窓口で対応した日系の女性は彼の高校の同級生。これが後でどれほど幸いしたか、、、、
再発行は空港ではできないとのことで、月曜日にコンチネンタルのオフィスで手続きをするよう言われた。その日は昨日のホテルまでおくってもらった。翌日息子と待ち合わせをして、コンチネンタルのオフィスに。彼のおかげでスムーズに手続きがすみ、帰りの航空券の再発行は終わった。でも、再発行手続きは100$。ちと痛かった。午後からバスに乗りフォトドイグアスに迎う。ほぼ24時間の旅である。バスの乗車券は現金で購入。本当はクレジットカードで買いたかったが、なんとブラジルではVISAが使える店があまりない。基本はマスターカード。ブラジルにいく人はマスターカードをもっていくように。
車窓から同じような風景をみながら一日たつとフォトドイグアス。ローカルバスに乗ってセントロへ。一日15ドルのユースに。相部屋であるが、4日間一人で利用。イグアスについた火曜日はイグアスのイアンプダムに行った。ローカルバスでダムのビジターセンターに行き、映画を見てダムのバスでダムの上をとおってパラグアイ側に行き、そのままセンターまで戻る。ここには国境は無い。まあ、おおきいというだけで、特に感動の無いダムを後にして、宿に帰った。帰る途中の夕日はとてもきれいだった。ブラジル川からだと、川の向こうのパラグアイに夕日が落ちるのである。
ここの女主人はどうも私のことが嫌いなのか、はじめから愛想が悪く、挨拶をしても返事もしない人で、最後まで不愉快であった。2段ベットが3台あり、シャワー便所付。シャワーは水の出口に温水器(といっても、ヒーターがついただけのもの)付いていて、一応あったかい水を浴びることができた。4日間一人で占有できたので、まあ快適だったが宿を離れるころには十数か所虫に刺され、一ヶ月ほど痒い思いをすることになった。
16日は鳥の音で目が覚める。もうすでに時差ぼけは抜けていると思うのであるが、不規則な生活なので、どうしても、いまいち調子が出ない。特に昼間は急に眠気が襲ってくる。以前は、そんなでもなかったと思うのであるが、、年齢を感じる今日この頃である。宿でパンを食べ(パンとコーヒーとバナナは無料)、9時ごろアルゼンチン側のイグアスの滝に向かう。ローカルパスに乗り、国境に差し掛かるとアルゼンチンのイミグレーションでバスは止まった。何か良くわからないことを言われ、いい加減にYESと言ったらブラジルの出国はしていないのに、アルゼンチンに入国してしまった。この為帰りは1時間ほど余計に時間がかかることになる。
バスを降りると、業者が寄ってきてイグアスのツアーを勧めた。まあ、せっかくきたのでジャングルツアーとボートを申し込んだ。でも、国立公園の入園料などは別で、どんどん少ないお金が減っていった。
ジャングルツアーはトラックの後ろに乗って、林道を走るだけであまりイマイチ。ボートは川をさかのぼり滝の近づいて歓声をあげるもの。結構濡れました。でも滝よりは激流の方がおもしろかった。
滝はアルゼンチン側にあり、観光は滝の上、または横の遊歩道から見物することになる。下から滝をみると結構迫力があるが、上からだと普通の水の流れで、多摩川だって落差があれば見ごたえがあるかもしれないと、つまらないことを考えてしまった。それでも、悪魔ののど笛という、テレビでよくみる滝の最奥部分の水量は多く、ごうごうと水の音を立てて降っていた。4時ころバスでプエルトイグアスに。しばらく待たされブラジルに戻るのであるが、往路で出国してしまったので、イミグレーションでバスをおろされ入国手続きをとる。手続きは簡単であったが、帰りのバスはなかなかこなかった。ここでも虫に襲われる。ブラジル入国のときに日本人の団体客がいたのであるが、高級バスに乗ってさっさとブラジルに去っていった。ローカルバスをつかって旅をするのは楽しいのにともったいないなと考えたが、日本人にすれば50万も60万も金を出してブラジルまできているのに、擦り減ったバスに乗らされたらきっとおこるよな、、、、 ブラジルは遠い!
翌日も鳥に起こされ、食事をしてブラジル川のイグアスの滝に行く。昨日とはうって変わって対岸が滝で、距離は遠いいがよく見える。歩いて楽しいのはアルゼンチン、見ていいのはブラジル。ブラジル川でもボートはあったが、当然お金はないので特に何もせず見学である。16日になると耐貧生活に入り始めていて、ろくなものを食べていなかった。昨日の夕食は菓子パンと露天の焼き鳥。焼き鳥の塩味がうまかった。今日は滝近くのレストランで食事をしようと思ったのにマスターカードしか使えない。仕方がないのでハンバーガー屋でジュースを飲む。昼過ぎには見るところもなくなりバスで帰るが、途中で大きなシェラスコ屋があり、ここではきっとVISAが使えるに違いないと思い、途中下車。この時の所持金は40ヘアルほど。食事は30ヘアルほどであるから、もしカードが使えなくても、現金で払えば何とかなる。宿代は払ったし、帰りのバスの切符も買ってある。勇気をだして食事をした。味は少々難があるが、現金のない私にはあまり選択肢がないので、我慢である。夜は菓子パン。
18日は、金がなく、できることもあまりないので、パラグアイに行くことにした。途中までバスで行き、国境の橋は歩いてわたる。パラの入国記録をパスポートにつけたかったのだが、ラフな格好でイミグレーションを通ったので、日帰りならノーチェクでOK、とか言われて国境通過。パラに入ったからといって、何が変わるというわけではないが、ブラジルよりは全体的に貧しい印象を受けた。少々ひもじかったので1ヘアル(45円)を出してバナナを買う。少々小さめのレジ袋二つ分のバナナを渡される。0.5ヘアルでよかったと後で後悔する。この日の午後もさしてやることはないので、昼寝をしたり洗濯をしたりした。このころより、ひもじさがつらくなり始めた。この時点で所持金は10ヘアル。いくらなんでも、0というわけにはいかないので、いろいろ我慢する。食べ物はバナナ。バナナを食べ続けるというのはつらい。いくらでも食べられるのであるが(食べてもあまり減らない)、少々甘く満腹感はなく、満足感もない。翌日からは、バナナ三昧であった。
翌日イグアスを出た。先ほど書いたとおり、バナナである。バスが途中で止まり、ほかの乗客がレストランで飯を食っていても、現金のない私はバナナ。私のひもじさとは何の関係もなく時間は過ぎ、驚くべきことに定刻でリオデジャネーロに到着。
飛行機の離陸まで半日あるので、長距離バスターミナルからセントロまで行き海岸縁を歩く。ガイドブックに乗っていたVISAの使えるレストランは時間が早くやっていなかった。グァナバラにいくが、30ヘアルもするポン・デ・アスーカルの丘にも登れず、付近のカコウ岩を登っている人を見物したりしていた。荷物もあり、やることもないので早めに空港にいった。カードの使えるシュラスコ屋に入り、たらふく食べた後にカードを出したところエラーが出て受付られないとのこと。その時の所持金は4ヘアルぐらい。30ヘアルぐらいだからたいした金額ではないのであるが、無いと困るのである。致し方ないので空港で金策に走るが、日本人が少ないうえに基本的に話を聞く気も無いと言った風で、日本人の冷たさに悔し涙を流すわけであるが、ひとりのにんじん女性が1000円を貸してくれた(結局はくれたのであるが)。あと4ヘアル足りない。そういえば、コンチネンタルの窓口に再発行手続きをしたときの女性社員がいたのを思い出し、彼女の元に行った。事情を話しザックでもすぼんでも靴でも買ってくれないかとはなしたところ、笑いながらいいですよといって4ヘアル出してくれた。この時は本当にうれしかった。ということで、街中で臣上げの変えなかったわたしはデューティーフリーで買い物をして、リオを後にし、サンパウロ、ニューヨークをとおって成田に帰ってきました。
帰ってから、アメックス(TC)、DC(盗難保険)に連絡し、TC100ドル。盗難保険で8万円ほどかってきた。
付録
ビザ
南米で唯一のビザのいる国。ビザさえあれば出入国は極めていいかげんであるが、これが無いと日本人は入国できない。五反田に領事館があり、自分で簡単にとれる。今回は航空券が無かったので、銀行の残高証明がないとビザは取れないといわれ、急いでみずほ銀行に駆け込んだ。ビザの値段はヘアル落下により5年前に比べて4250円から37505円と安くなった。
飛行機
コンチネンタルを利用。空港税など込みで12万円ほどであった。数年前に比べるとべらぼうに安くなっているのであるが、NYが3万円台でいけるようになったので、そんなもんかもしれない。なお、日本の空港税2,100円はアメリカやブラジルに比べても高くないようである。成田、ニューアーク、リオと身体検査は厳重であった。
ブラジルの状況
リオの治安はかなり悪いようである。長距離バスターミナルはファベーラ(スラム街)にあり、特に注意しなければならない場所とのことである。ファベーラは日本人の感覚でいうとレンガでできた、作りかけの家といった感じ。ファベーラに住んでいない地元の人もファベーラにはいかないという。車でもし通りかかたときにパンクなどしたら、救援を待っているときに何があるかわからないので、車をおいて逃げ出すといっていた。銃の所有は認められているため、銃の所有者はおおくいる。ブラジルには兵役があるが、兵役を終了したときに武器を「おみあげ」としてもって帰ってくるようである。
有名なコパカバーナ海岸も地元の人に言わせると「夜一人で歩いていたら、100パーセント襲われます」。道の改修などはほとんど行われないが、信号などで車が停車したときに襲撃を受けるので、事件が多く起こると工事が行われるという。
小原さんいわく、一部の人間が甘い汁を吸う国であり、国民の8割は月に50ドルも稼げないでいるという。貧富の差がなく、みなが楽しめるのはカーニバルだけとのことである。
食事
よんどころない事情であまり外食はしなかったためよくはわからないが高い割にいまいち。味は大味だけれども、おいしいところもある。ちょっとしたレストランで食べると20〜30ヘアルとられることがある。給与水準の問題か、あまり外食をしないようである。屋台の焼き鳥は1ヘアルぐらいでまあまあの味。バナナは安い。
気候
現地は春でした。リオは例年に比べて雨が多く、肌寒かったですね。リオの人もリオらしくないといっていました。イグアスは朝夕は半袖だと少し涼しいといった感じす。
交通
近距離のバスは1.5ヘアル。地下鉄は数倍はする(驚くべきことに日曜日は休み)。空港リムジンは4ヘアル。長距離は24時間ぐらいの距離で往復240ぐらい。まあ、日本よりは安いです。タクシーは30分ぐらい乗っても1000円程度でしょうか。ただ、日本人の100%間違いなくぼられるようです(日系人談)。私が金持ちの家にいったときは40ヘアルとられましたが、現地人の場合は20ヘアル程度とのことでした。
宿
どこにいっても宿には困らないでしょう。当日でもOKだけど、観光地はいい値段です。コパカバーナあたりは最低で50US$程度は覚悟する必要があります。外国ではシングルという部屋はないようで、一人でとまってもツインです。リオではカードの使える宿を利用するため、高いところに泊まりました。朝食はうまかったです。イグアスで泊まったのはユースですから当然相部屋ですが、朝食付で15ヘアルだから、文句はいえませんね。ただ、虫がいたようで、あとで痒い思いをしました。
日系人について
普段海外にいくと言葉の問題から現地の事情にあまり触れることなく、なんとなく帰ってきてしまいします。今回は上記の事情から日系人には大変お世話になりました。そして、観光客であれば聞くことのできないブラジル事情について話をお伺いかるこができました。
