タイ、カンボジア、台湾旅行 15.7.23→7.27 |
7月19日から27日まで、家族の人々が実家に帰ることになり、インターネットで格安旅行件を探していた。7月のはじめだとシンガポール19800なんてものがあったが、この時期はだいぶ値段があがっていた。しかし、ビジネスクラスでシンガポール往復4万円というのを発見。すぐに問い合わせをしたが、シンガポールはいっぱい。バンコクならばあるというので23日発の便を予約した。帰りは台湾に一泊する。今回はバンコク着が夜中なのでホテルは予約していった。19日に妻子を鳥羽まで送り、一応義理を果たして、23日の午後から仕事を休み、成田へ。台湾経由でバンコクについたのは午前一時。ローカルバスでなつかしのバンコクセンターホテルのあるホアラポーン駅に向かった。バンコクも雨季で蒸す。
あれは13年前の平成3年、役所に就職が決まりプー太郎卒業旅行にでたときであった。1月に成田をでて、香港で一泊しバンコクに到着。バンコクでインド行きのチケットをとって西に行きヨーロッパから南米にわたり日本に帰るという計画を立てていたのである。しかし、バンコクに夜中に到着しセントロにいくローカルバスの中でTCとパスポートをスられてしまった。その時に困って泊まったのがバンコクセンターホテル。とりあえず、TCに会社に連絡をしなければならなかったのであるが、その日は日曜で、日本の業者はやっておらず、イギリスのピーターボローに電話をした。ホテルに事情を話、クレジットカード払いということで、長距離電話をした。英語なんぞしゃべる機会がなかったのであるが、この時ばかりはしょうがない。45万ほどの金額であり、必死で英語で会話をした。この時の体験が英会話に関する、恐怖心を払拭してくれることになった。幸い現金やクレジットカードは取られなかったので、電話をかけたセンターホテルに泊まることにした。パスポートの再発行に10日ほどかかり、湾岸戦争も始まり中東を通ってヨーロッパに行くことは不可能になったので、最終目的地の南米に行く一番安い手段として日本に帰った。これは余談。
それ以後タイの通貨危機があり、バーツは大幅に安くなり、以前5000ぐらいで泊まったセンターホテルは日本からの予約で2500円で泊まれるようになった。懐かしいホテルである。夜中についたため、朝はちょっとゆっくり目の朝食をとり、アユタヤに向かう。どうしてアユタヤかというと、寝坊をしたので遠くに行けなくなったのである。バスを乗り継ぎ、長距離バスターミナルにいった。3時間ぐらいのところであったが運賃はたった41バーツ。タイの物価はえらく安い。アユタヤについて昼飯をたべて遺跡をまわる。それぞれの遺跡で入園料を払い見物。赤いレンガ作りの建物。遺跡に上ると回りはジャングルのようであった。
アユタヤにきた目的のひとつは遺跡であるが、もうひとつは象に乗ること。この象の遊覧はえらく高く、400バーツ。ほぼ1200円である。でも、乗りたかったので20分ほど象の後ろに乗る。私の足がちょうど象の肩甲骨にあたり、馬と違って結構ゆらゆらとゆれる。さっき見た遺跡も2メートル高いところから見ると、ちょっと違って見えた。
駅まではちょっとあったので、バイクタクシーで駅の近くの川の渡し場まで行き、船で川をわたる。そこからバンコクまではたった15バーツであった。普通列車で汚かったが、まあ、やすからしょうがない。
ホテルは中華街の近くにあったため、夕食は中華。この日は屋台でふかひれのスープをのみ、ファミレスでデザートを食べた。ココナッツミルクのスープのようなデザートはえらくうまく、翌日も食べに行った。
翌日はポイペトというカンボジアとの国境の町に行く。朝の4時におきてアラヤンプラテートトイウところまで電車で向かう。5時に出て到着は昼。でも48バーツ。車窓から見える風景は田んぼばかり。何時間も何時間も田んぼが続く。日本にいるとあまりそう行った体験をしないのであるが、4時間も5時間も同じ風景。アマゾン、シベリア、ポーランド、アメリカ等でもズッート同じ風景を見ていた。日本にいると同じ風景の連続というのは珍しく感じるのであるが、世界ではいがいと普通なのかもしれない。
アラヤンプラテートを降りると雨だった。バイクタクシーやツクツクが客引きにきた。カンボジアというとバイクタクシー(スーパーカブ)のおじさんがツクツクより安いといって熱心なのでバイクで国境までいった。片道10キロぐらいありそうだったが、往復で50バーツである。国境までくると国境手続き斡旋のような仕事をしているにいちゃんが寄ってきてカンボジアカンボジアといって、国をわたらせようとする。こっちは帰りの列車まで時間がなく、国境を見て帰ろうと思っていた。ビザ代もえらく高い。でも、国境を渡る誘惑にまけ、カンボジアのビザを取ることにした。そのにいちゃんたちは代書屋のようなことをしているのである。はじめに金はいくらかと聞くと、そちらの言い値でいいという。結局いろいろと手続きをして、カンボジアの領内にいたのは10分ぐらいであったが、カンボジアの貧しさは感じることができた。5才ぐらいのはだしの少女が0歳ぐらいの子供をだっこしていて、うちのこどもとの境遇の差を強く感じた。帰り際に代書屋が金を要求してきたので、5バーツを渡した。大変不満そうであったが、それ以上渡す気がないとわかると、次の客を探しに行った。バイクのおっちゃんは律儀にまっていて(まだ一銭も払っていないのであたりまえか)、駅まで帰った。そんなに時間もなかったので、屋台で鳥のももやきとチャーハンを買い、車内で食べた。チャーハンはうまくなかったが、鳥はまあまあ。長時間の電車でつかれたころバンコク到着、ホアラポーンが近くなると車窓からスラム街が見える。街中では見なくなった風景である。明日は台湾である。
朝バンコクをでて台湾に昼過ぎについた。なぜ台湾かというと中華航空を利用したからなのだが、台平の空港についたらサーズ検査がやたらと厳重にやられていた。そう、なぜバンコク行きのビジネスクラスが、通常の1/4かというと、サーズの影響で旅客が減ったからだったのだ。それで、まだ行ったことのない中華民国に一泊して帰ることにした。
航空券は安かったが、物価は高かった。日本よりは安いのだが、極端に物価の安いタイからくると、異常に高く感じた。タイで4日間よりも1泊2日の台湾のほうが金がかかった。
ほんとうは故宮博物館に行きたかったのであるが、時間がなかったので221博物館を見学。日本語の話せる中年の女性(近くの大学教員らしい)が通訳として説明をしてくれた。台湾は日本の敗戦後すぐに中国国民党支配となったのであるが、その時に台湾の知識人数万人が国民党により殺害されたという事件があり、そのことに関連した展示がされていた。このボランティアの女性は親切で、2時間ぐらい説明をしてくたれ。理解できて良かったが、少々疲れた。そのあとは地下鉄にのりホテルに。
その時にはもう夕食の時間だったので、外に出て屋台街をあるくが、どうもいまいちひきつけるものがない。一時間以上あるいていたが、なかなかこれは!と思えるところがない。ホテルで食べようかとも思ったが、せっかく台湾にきてほてるもな、、なんておもっていたら、ちょっと古ぼけた入り口のみせがあり、ちょっと魅力的だったので、そこに決めた。女性が5人ぐらいで食事をしていた。店には海老さんや魚が泳いでいたが、なにせ一人なので大き目のものはあきらめ、豆腐と肉料理を頼んだ。店の主人夫婦は高齢であるため、ちゃんと日本語かが話せた。私が日本人とわかると、親切にしてくれ、くえくえといろいろと持ってきてくれ、中盤から食べるのが大変だった。お味はまた食べに行きたいな、と思わせるものでした。
翌日は飛行機にのって帰るのでありました。ジャンボの2階に初めて乗り私は大満足でございました。
